伝承地めぐり

本サイトの連載記事「深読み吾妻鏡」に出てくる伝承地を写真と文で紹介します。いずれも実際に現地を取材した上、Google マップを掲載していますので、現地へ足を運ぶ際に活用ください。

源氏軍と平家軍が初めて直接対決した富士川合戦は、矢合わせやの前夜に水鳥の群れが何かに驚いて一斉に飛び立った羽音を源氏軍の来襲と勘違いした平家軍が大慌てで京まで逃げ帰り、源氏軍の大勝利に帰しました………

甲斐源氏が駿河国目代の橘遠茂率いる平家軍と対決した鉢田合戦の比定地は、富士五湖の本栖湖南側にそびえる龍ヶ岳の端足峠だったとされます………

甲斐源氏と北条時政が陣を構えたとされる大石駅は、河口湖北岸の河口湖町大石付近だったと考えられます。彼らは甲斐国の石和御厨から南下して河口湖まで進軍しました………

源頼朝が初めて鎌倉の地を踏んだのは、治承四年十月七日です。大軍を率いて武蔵国から下って来た頼朝は、化粧坂ないし亀ヶ谷坂を通り亀ヶ谷郷へ到り、河内源氏にゆかりの鶴岡八幡宮を遙拝しました……

石橋山合戦に敗れ安房国へ逃れた源頼朝は、治承四年九月十一日に丸御厨を巡検しました。この土地は頼朝の祖先頼義が東夷を平定した恩賞として朝廷から初めて下賜され、代々の河内源氏に相伝されました……

源義賢は、河内源氏嫡流為義の次男として生まれ、長男義朝が廃嫡され東国へ下向したのち、嫡男の座を得て、父と共に摂関家の忠実・頼長の臣下として摂関領の管理や日常の警備といった奉仕に努めます……

源為義の嫡男義賢は仁平三年(一一五三年)に上野国へ下向し、現在の高崎市山名町から吉井町一帯とされる多胡郡に拠点を築きます。これは廃嫡された兄義朝が南関東に勢力を扶植したのに対抗する意図があったとされます……

相馬御厨は現在の茨城県取手市、守谷市、千葉県柏市、流山市、我孫子市に広がる荘園で、千葉常重が上総氏初代の常春から譲られた領地を伊勢神宮に寄進して大治五年(一一三〇年)に成立しました……

大庭御厨は鎌倉一帯を開発した鎌倉権五郎景正が、相模国高座郡大庭郷の領地を伊勢神宮(内宮)に寄進して成立した荘園です。伊勢神宮の神官(禰宜)にして大庭御厨の領家だった荒木田氏は、鵠沼郷内の伊介神社(現、皇大神社)に居住し、ここを御厨の運営に当たる神館としました……

源頼朝が鎌倉に入部した治承四年十月七日、まず由井郷にあった鶴岡八幡宮(現在の元八幡)を遙拝した後、亀ヶ谷にあった父義朝の館へ向かいました……