伝承地めぐり

本サイトの連載記事「深読み吾妻鏡」に出てくる伝承地を写真と文で紹介します。いずれも実際に現地を取材した上、Google マップを掲載していますので、現地へ足を運ぶ際に活用ください。

箱根の山中に身を潜めていた源賴朝たちは、箱根山の別当で賴朝の祖父為義や父義朝と親交のあった行実の手引きで、箱根山にかくまわれます。箱根山とは、現在の箱根神社です……

北条時政の嫡男三郎宗時は、石橋山合戦に敗れた後、「土肥山から桑原へと降り、平井郷を通っていたところ、早河の辺りで(伊東)祐親法師の軍勢に囲まれ、小平井の名主紀六久重によって射取られた」と『吾妻鏡』に記されます……

鎌倉時代に整備されたとされる湯坂路は、現在の箱根登山鉄道「箱根湯本駅」の少し先から登山道が始まり、湯坂山、浅間山、鷹巣山を経て芦之湯へ向かうルートです……

吾妻鏡で言及される「走湯山」とは、現在の静岡県熱海市に在する伊豆山神社です。ここは頼朝と政子にゆかりの深い神社で、境内にはふたりが恋を語らったとする「賴朝・政子腰掛け石」なる伝承も残されています……

石橋山合戦に敗れた源頼朝が身を隠したとされる「しとどの窟」は、神奈川の湯河原温泉郷から北西へ向かった深い山中にあります……

石橋山合戦の切っ掛けをつくったのは三浦党の示威行動でした。治承四年八月二十三日の夕刻、源頼朝の挙兵に加わろうと領地を発った三浦軍は丸子川(現在の神奈川県小田原市の酒匂川河口付近)まで到達しますが、連日の雨で増水した川を渡れません……

平家を打倒するため挙兵した源頼朝と付き従う伊豆・相模の武将四十六名は八月二十三日の夜明け前、相模国石橋山に陣を構えました……

源頼朝が挙兵した治承四年八月十七日、伊豆国府に近い三嶋大社では神事が行われる予定でした。そこで頼朝は、神事が行われる前に側近の安達盛長を奉幣の御使として社参させ、必勝を祈願しました……

源頼朝の挙兵直後に攻め滅ぼされた山木判官兼隆の居館は伊豆国田方郡山木郷にあったとされます。吾妻鏡には要害の地で人や馬が通うには大変な場所だと記されますが、現在では平坦な住宅街を抜けて少し奥まった坂の上が伝承地とされ……

大庭景親の領地は大庭御厨です。大庭氏の祖先である鎌倉権五郎景正が相模国高座郡鵠沼郷(現在の藤沢市鵠沼)を含む荒野を開拓し、これを伊勢大神宮に寄進することで十二世紀初めに成立しました。景正の子孫は事実上の領主である下司の地位を相伝し、大庭氏を名乗りました……