名馬をめぐる子供じみた相克

以仁王もちひとおうの令旨を承ったのが仲綱だった謎を解くヒントは、上横手氏も前掲書で言及しているように、『平家物語』「競」の段に描かれていました。

その逸話とは、清盛の次男宗盛が、仲綱の所有する名馬を無理矢理取り上げたという内容です。仲綱が惜しがってなかなか手放そうとしなかったのに憤った宗盛は、奪った馬に「仲綱」と焼き印を押し、名馬見たさに来訪した客人の前で鞭を打って痛めつけ、仲綱の名を辱めました。これを聞き及んだ頼政は、「平家の者は自分たちは手出しできないと高をくくってこんな卑劣なことをするのだろう、これほど愚弄されたら生きている甲斐はない」と、ついに謀反の心を抱いたとします。

現実世界の仲綱は、挙兵時には五十四歳の分別ざかりですから、馬一頭のために一族を滅亡へと導くほど愚か者ではなかったでしょう。かつて義平に「卑怯者」と罵られても平常心を失わなかった頼政にしても然りです。しかし、これを平家物語の作者による創作だと一笑に付すのは早計かもしれません。

いわゆる語り系の平家物語は、琵琶法師により庶民に向けて語り継がれましたから、当然、聴衆の好む題材を取り入れる潤色が施されたでしょう。名馬をめぐる仲綱と宗盛の憎しみ合いは、驕れる者は久しからずとする平家物語の根幹思想を庶民に分かりやすく伝える方便だったとも考えられます。そのように潤色される元となった何らかの出来事、それは庶民にとって登場人物や利害関係が複雑すぎて分かりにくかったと想定されるのですが、平家を滅ぼしてやろうと仲綱を怒り心頭させる事件が実際にあったとしたらどうでしょうか。

仲綱を平家打倒に駆り立てさせた原因を推定すると、武士が命の危険を顧みず一族郎等を巻き込んで他者に抵抗を試みる事態とは、言うまでもなく所領をめぐる利害の対立しか考えられません。「一所懸命」とは、「賜った一カ所の領地を生命にかけて生活の頼みとすること」と広辞苑にあるとおり、武士の生きざまから生まれた言葉です。

頼政は本拠地の摂津国に加え、平治の乱後に知行国として賜った伊豆国、さらに丹波国五箇荘、若狭国宮河保、その他にも複数の所領があったとされますが、仲綱はたびたび伊豆国守を勤めたという資料しか残っていませんから、彼の所領つまり「一所」は、伊豆国だったと思われます。

伊豆国を嫡男の所領とする権利は知行国主である頼政が握っていたのですが、それは頼政個人が賜った恩賞なのであり、一族で代々受け継げる安定した利権ではなかったのです。知行国をめぐる武士、貴族たちの血なまぐさい抗争について、詳しく検討してみましょう。

(公開日:2023-05-14)