はじめに

吾妻鏡を初めて手に取ったのは二〇〇七年冬、ちょうど吉川弘文館から『現代語訳 吾妻鏡』が刊行された年でした。同じ年の春、鎌倉の隣町へ移り住んだ当初は身の回りを整理するのに精一杯で、人気の観光スポットである鶴岡八幡宮へ出掛ける余裕すらありませんでした。ひと夏を新天地で過ごし秋を迎える頃、生活にも慣れてきたことで未だ見ぬ土地への興味が頭をもたげ、週末の度に名所旧跡を訪ね歩くようになりました。思いのほか鎌倉は徒歩で有名な神社仏閣へ行けるほど身近な土地だったのです。

年の瀬が近づいた週末、せっかく由緒ある古都の近くに越してきたからには、鎌倉時代の歴史を知っておこうという気になり、正月休みの読書ネタを仕入れにJR鎌倉駅前の島森書店へ出掛けました。さすが地元書店だけに、鎌倉関連の書物は、お堅い歴史専門書から入門者向け解説書まで豊富に取り揃えてあります。目移りして仕方ない書棚の中から、一般的な読書人には敷居の高い『現代語訳 吾妻鏡』なる書籍の第一巻を購入する気になったのは、新聞の書評欄で紹介されていたことに加え、新しい土地に対する好奇心に背中を押されたからでしょう。

鎌倉幕府の公式な歴史書として編纂された吾妻鏡は、永仁五年(一二九七)から嘉元二年(一三〇四)の頃に成立したとされます。その文体は和様漢文体と呼ばれるもので、かつては初学者向けに訓読みを施した書もありましたが、それでも読みこなすのは容易でなく、一般人にとって長らく手の届かない歴史書でした。吾妻鏡が一般的な読者に普及したきっかけは、二〇〇七年十一月に刊行が始まった前述の『現代語訳 吾妻鏡』だったとされます。同書は従来にもあった読み下し文とは異なり、学識のない私のような歴史愛好家にも理解できる現代語で書かれているところが画期的でした。

読み始めてすぐに、これは大変な書物を手に取ってしまったと思いました。いくら平易な現代語に訳されているとはいえ、鎌倉幕府創立期に当たる平安時代末期の背景知識を持たない自分にとって、吾妻鏡は未知の人物や事象、風習に満ちあふれ、さらりと読み流すだけではほとんど内容を消化できない難解きわまる代物でした。それでも途中で投げ出したりせず辛抱して関連する歴史解説書を併読しながら徐々に時代背景や登場人物への理解を深めていくと、少しずつ鎌倉幕府草創期に混乱を極めたあれこれの出来事が実感を伴って思い描けるようになります。もっと吾妻鏡に描かれた時代の息吹を生々しく感じたいと、この時代に関する書物を読み漁るうち、いつしか八百年前に書き記された古風な年代記にすっかり魅了されました。

吾妻鏡を読む楽しさのひとつは、あくまでも個人的な意見に過ぎませんが、情報が不足ないし欠落して説話の意味が不明瞭であったり論理的に破綻していると思われたりする個所や、編者による意図的な曲筆や隠蔽が疑われる個所を見つけ出し、行間に隠された歴史の真実(と勝手に自分で思い込んだ仮説)を空想し、謎解きを楽しむように正規版吾妻鏡に対抗する私家版吾妻鏡を構想することです。

これをやり始めると時間はいくらあっても足りませんが、幸いにして現役引退を迎えた今、これまで胸中に温めてきた吾妻鏡の私的解釈を「深読み吾妻鏡」と題して連載記事風に書いてみます。もとより日本中世史に関する専門的な学識は持ち合わせていませんから、誤謬に満ちた記述もあるでしょうが、素人の妄想だと笑って見逃していただければ幸いです。

さらに副産物として、吾妻鏡に記された土地を訪ね歩いた記録は「伝承地めぐり」として写真と文で掲載するつもりです。取材と称して出掛ける小旅行は、歴史愛好家にとってなくてはならない楽しみです。

前置きはこれくらいで切り上げ、「深読み吾妻鏡」と「伝承地めぐり」の更新に取り掛かりましょう。

(公開日:2023-01-04)