【深読み吾妻鏡】

甲斐国に執着する敗残兵たち

頼朝を守護すべき六名の武将たちが主君を見捨て、甲斐国へ向かおうとしていた北条時政の供を申し出た場面について、引き続き考察を進めます……

【深読み吾妻鏡】

時政は指揮官なのか

頼朝を見失った六名の武将が時政の供をすると申し出たことが、当時の武家社会にとってどれだけあり得ない状況なのか、補足して説明しましょう……

【伝承地めぐり】

しとどの窟

石橋山合戦に敗れた源頼朝が身を隠したとされる「しとどの窟」は、神奈川の湯河原温泉郷から北西へ向かった深い山中にあります……

【深読み吾妻鏡】

忠臣たちの怪しい振る舞い

冷たい雨の降る夕刻、大庭景親率いる平家軍の急襲を受けた頼朝軍はさんざんに打ち負かされ、大将の頼朝は翌朝「杉山」に逃げ込んだと吾妻鏡は伝えます。現在の神奈川県足柄下郡湯河原町付近ではないかと推測されるので、石橋山古戦場から山中を十キロメートル近く南へ押しやられたことになります……

【伝承地めぐり】

丸子川

石橋山合戦の切っ掛けをつくったのは三浦党の示威行動でした。治承四年八月二十三日の夕刻、源頼朝の挙兵に加わろうと領地を発った三浦軍は丸子川(現在の神奈川県小田原市の酒匂川河口付近)まで到達しますが、連日の雨で増水した川を渡れません……

【深読み吾妻鏡】

惨敗した石橋山合戦

頼朝が「陣を構えた」二十三日は、すでに石橋山近辺に頼朝の叛乱を鎮圧すべく、大庭景親の招聘した軍勢が待ち構えていました。景親の弟である俣野五郎景久、河村三郎義秀、渋谷庄司重国ら平家被官の軍勢約三千騎とされます……

【伝承地めぐり】

石橋山古戦場

平家を打倒するため挙兵した源頼朝と付き従う伊豆・相模の武将四十六名は八月二十三日の夜明け前、相模国石橋山に陣を構えました……

【深読み吾妻鏡】

頼朝軍の目指した進軍先

首尾よく伊豆国目代を血祭りに上げ挙兵の初戦を飾った頼朝は、翌十八、十九日は兵を北条館に留め、援軍の到着を待ちました。ところが当てにしていた相模国きっての武士団三浦党など「以前から(頼朝に)同意する意思を示した武士がいたのだが、今に遅参している」と、引き続き兵力不足の状況が続きます……

【伝承地めぐり】

三嶋大社

源頼朝が挙兵した治承四年八月十七日、伊豆国府に近い三嶋大社では神事が行われる予定でした。そこで頼朝は、神事が行われる前に側近の安達盛長を奉幣の御使として社参させ、必勝を祈願しました……

【伝承地めぐり】

山木判官兼隆館跡

源頼朝の挙兵直後に攻め滅ぼされた山木判官兼隆の居館は伊豆国田方郡山木郷にあったとされます。吾妻鏡には要害の地で人や馬が通うには大変な場所だと記されますが、現在では平坦な住宅街を抜けて少し奥まった坂の上が伝承地とされ……