【鎌倉武将と小坪】

飯島邸襲撃と鐙摺城

頼朝が小坪に愛妾を囲った同じ年の十月、無事に若君(後の二代将軍頼家)を出産して御所へ戻ってきた政子に、頼朝の浮気が密告され事は急転直下の展開を見せます。密告したのは政子の父時政の後妻牧御方です……

【鎌倉武将と小坪】

亀前と小中太の小坪邸

鎌倉幕府の公式歴史書である『吾妻鏡』にも小坪坂の合戦について記述はありますが、三浦党が頼朝の敗戦を知って「~思いがけぬことと急ぎ帰った。その途中の由井浦で、畠山次郎重忠と数刻にわたって戦った。」とあっさり語るのみで、残念ながら小坪の地名はでてきません。『吾妻鏡』に小坪の地名が現れるのは……

【鎌倉武将と小坪】

小坪坂の合戦

小坪という地名が日本史に登場するのは、源平合戦が始まった平安末期、治承四年(一一八〇)のことです。この年の八月十七日に源頼朝が配流されていた伊豆国北条で平家打倒を目指して挙兵しました……

【深読み吾妻鏡】

無二の忠節を示す時政の誕生

平安末期の東海道は伊豆国府のあった三島周辺は通らず、西方の黄瀬川に沿って北上し、足柄峠を越えて相模国に到りました。頼朝軍の駐留した地点は比定できませんが、黄瀬川西部の静岡県沼津市大岡周辺だったと思われます………

【深読み吾妻鏡】

敵は京の平家にあらず

『吾妻鏡』の十月二十一日条は、富士川合戦勝利後の軍事行動について、頼朝と家臣たちの間で交わされたやり取りを記します………

【伝承地めぐり】

富士川

源氏軍と平家軍が初めて直接対決した富士川合戦は、矢合わせやの前夜に水鳥の群れが何かに驚いて一斉に飛び立った羽音を源氏軍の来襲と勘違いした平家軍が大慌てで京まで逃げ帰り、源氏軍の大勝利に帰しました………

【伝承地めぐり】

鉢田

甲斐源氏が駿河国目代の橘遠茂率いる平家軍と対決した鉢田合戦の比定地は、富士五湖の本栖湖南側にそびえる龍ヶ岳の端足峠だったとされます………

【深読み吾妻鏡】

命運を分けた鉢田合戦

橘遠茂は十月十四日、駿河・遠江の国衙兵から成る大軍を率い、富士宮から富士山西側を南北に貫く神野・春日路を北へ進軍します。迎え討つ甲斐源氏軍は鉢田のあたりで敵と遭遇し、合戦に及びました………

【伝承地めぐり】

大石駅

甲斐源氏と北条時政が陣を構えたとされる大石駅は、河口湖北岸の河口湖町大石付近だったと考えられます。彼らは甲斐国の石和御厨から南下して河口湖まで進軍しました………

【深読み吾妻鏡】

時政に届いた驚愕の知らせ

時政が甲斐源氏の軍勢と共に宿営していた石和御厨へ、土屋宗遠が頼朝軍の最新状況を携えて九月二十四日に到着します。頼朝の託した命令について『吾妻鏡』の正史に従えば……