時政と甲斐源氏の動向
頼朝が上総広常、千葉常胤ら三万余騎の兵を率いて武蔵国に渡った十月二日は、関東の平野部でも紅葉が始まっていたと思われます……
丸御厨
頼朝の挙兵
鎌倉を居館とし、河内源氏による関東の秩序を再興するよう求められた頼朝は、正直なところ、相当に戸惑ったろうと想像します。なぜなら安房国安西景益邸にあった頼朝は、いまだ摂津源氏仲綱が組織し伊豆国で挙兵した平家打倒軍の一構成員に過ぎず……
平治の乱後の関東勢力図
保元の乱の三年後、平治元年に勃発した平治の乱で平清盛に敗れた義朝は、敗走中の尾張国内海荘で家人の裏切りにより命を落とします……
大蔵館と義賢墓
多胡郡
大蔵合戦と父子相克
鳥羽院の寵后である美福門院に近い藤原親弘が仁平二年(一一五二年)に相模守に就任すると、義朝は親弘と結んで糟屋荘(神奈川県伊勢原市)、山内荘(神奈川県鎌倉市山ノ内)の立荘に協力し、美福門院への荘園寄進に努めます……
大庭御厨と相馬御厨
相模国大庭御厨は桓武平氏良文流の鎌倉党大庭氏の所領でしたが、国衙勢力との間で御厨に含まれる鵠沼郷(現、神奈川県藤沢市鵠沼)の帰属をめぐる紛争を抱えていました……
