【深読み吾妻鏡】

千葉常胤が頼朝に見たもの

仲綱残党軍の指揮官たる北条時政は、安房国上陸後も平家打倒の初志を忘れていません。その証拠に時政は三度目となる甲斐源氏との接触を試み、八日に安西景益邸を出発しました……

【伝承地めぐり】

上総一宮(玉前神社)

上総国の一宮である玉前神社(現、千葉県長生郡一宮町一宮)は、上総広常の領地である上総国埴生郡玉前荘にありました……

【伝承地めぐり】

上総広常邸(高藤山城)

安房国へ渡った頼朝軍が向かったとされる上総権介広常の居館は、上総一宮である玉前神社の南方に位置する低山に築かれた高藤城だったとの伝承があります……

【深読み吾妻鏡】

躍動する三浦党

頼朝の上陸した安房国平北郡猟島は、有力な武士団の支配が及ばない空白地だったようです。時政らは安房国に割拠する武士団のどこが敵対する意思を持つか分からなかったので、安全を優先して猟島を選んだと考えられますが、早急に支援者を見つけて安全な地へ兵を移動させる必要がありました……

【伝承地めぐり】

怒田城跡

怒田城は三浦党の本拠地である衣笠城の支城として、平作川を見下ろす丘陵地に築かれました。築城当時、久里浜の海岸線はこの辺りまで及ぶ深い入り江で、支城の中で最も海に近い城でした……

【深読み吾妻鏡】

安房国へ同道する三浦党

石橋山合戦に遅参し、戦わずして領地へ引き返した三浦党は、途中で平家被官の畠山軍から攻撃を受け、いったんは撃退しますが、援軍を得た畠山連合軍に八月二十六日、衣笠城を包囲されます……

【伝承地めぐり】

土肥真鶴崎

石橋山合戦に敗れた頼朝軍は土肥郷へ逃れ、ここから二手に分かれて安房国へ渡航します。先発した北条時政・義時、岡崎義実、近藤七国平らは岩浦から出航し、頼朝は土肥実平に伴われ真鶴崎から小舟で安房国を目指しました……

【伝承地めぐり】

土肥郷岩浦

石橋山合戦に敗れた頼朝軍は、箱根山中に身を隠した後、土肥郷から船で安房国へと脱出します。『吾妻鏡』は北条時政・義時、岡崎義実、近藤七国平らが土肥郷岩浦から出航したと記します……

【伝承地めぐり】

寺尾城

上野国の新田荘を根本所領とした新田義重は、源頼朝が挙兵に先だって同盟を促す書状を送ったところ、返事をしないどころか、かえって寺尾城に立て籠もり軍兵を集めたと『吾妻鏡』に記されます……

【深読み吾妻鏡】

安房国渡海にまつわる疑問

敵兵の去った土肥郷に集結した頼朝たちは、土肥実平の館で安房国渡海の計画を入念に検討したでしょう。従って二十七日に時政、義時父子および岡崎義美、近藤七国平らが安房国へ向けて出航した船団に、頼朝と実平は同乗せず……