千葉常胤が頼朝に見たもの
仲綱残党軍の指揮官たる北条時政は、安房国上陸後も平家打倒の初志を忘れていません。その証拠に時政は三度目となる甲斐源氏との接触を試み、八日に安西景益邸を出発しました……
仲綱残党軍の指揮官たる北条時政は、安房国上陸後も平家打倒の初志を忘れていません。その証拠に時政は三度目となる甲斐源氏との接触を試み、八日に安西景益邸を出発しました……
頼朝の上陸した安房国平北郡猟島は、有力な武士団の支配が及ばない空白地だったようです。時政らは安房国に割拠する武士団のどこが敵対する意思を持つか分からなかったので、安全を優先して猟島を選んだと考えられますが、早急に支援者を見つけて安全な地へ兵を移動させる必要がありました……
石橋山合戦に遅参し、戦わずして領地へ引き返した三浦党は、途中で平家被官の畠山軍から攻撃を受け、いったんは撃退しますが、援軍を得た畠山連合軍に八月二十六日、衣笠城を包囲されます……
敵兵の去った土肥郷に集結した頼朝たちは、土肥実平の館で安房国渡海の計画を入念に検討したでしょう。従って二十七日に時政、義時父子および岡崎義美、近藤七国平らが安房国へ向けて出航した船団に、頼朝と実平は同乗せず……