【伝承地めぐり】

鵠沼郷

大庭御厨は鎌倉一帯を開発した鎌倉権五郎景正が、相模国高座郡大庭郷の領地を伊勢神宮(内宮)に寄進して成立した荘園です。伊勢神宮の神官(禰宜)にして大庭御厨の領家だった荒木田氏は、鵠沼郷内の伊介神社(現、皇大神社)に居住し、ここを御厨の運営に当たる神館としました……

【伝承地めぐり】

鎌倉の館

源頼朝が鎌倉に入部した治承四年十月七日、まず由井郷にあった鶴岡八幡宮(現在の元八幡)を遙拝した後、亀ヶ谷にあった父義朝の館へ向かいました……

【深読み吾妻鏡】

なぜ鎌倉だったのか

千葉常胤が頼朝に鎌倉へ向かうよう進言した理由は、簡潔に言ってしまえば、かつて鎌倉の館に居住し関東の覇権を握った頼朝の父義朝の役割を継承してほしいという願いでした……

【深読み吾妻鏡】

千葉常胤が頼朝に見たもの

仲綱残党軍の指揮官たる北条時政は、安房国上陸後も平家打倒の初志を忘れていません。その証拠に時政は三度目となる甲斐源氏との接触を試み、八日に安西景益邸を出発しました……

【伝承地めぐり】

上総一宮(玉前神社)

上総国の一宮である玉前神社(現、千葉県長生郡一宮町一宮)は、上総広常の領地である上総国埴生郡玉前荘にありました……

【伝承地めぐり】

上総広常邸(高藤山城)

安房国へ渡った頼朝軍が向かったとされる上総権介広常の居館は、上総一宮である玉前神社の南方に位置する低山に築かれた高藤城だったとの伝承があります……

【深読み吾妻鏡】

躍動する三浦党

頼朝の上陸した安房国平北郡猟島は、有力な武士団の支配が及ばない空白地だったようです。時政らは安房国に割拠する武士団のどこが敵対する意思を持つか分からなかったので、安全を優先して猟島を選んだと考えられますが、早急に支援者を見つけて安全な地へ兵を移動させる必要がありました……

【伝承地めぐり】

怒田城跡

怒田城は三浦党の本拠地である衣笠城の支城として、平作川を見下ろす丘陵地に築かれました。築城当時、久里浜の海岸線はこの辺りまで及ぶ深い入り江で、支城の中で最も海に近い城でした……

【深読み吾妻鏡】

安房国へ同道する三浦党

石橋山合戦に遅参し、戦わずして領地へ引き返した三浦党は、途中で平家被官の畠山軍から攻撃を受け、いったんは撃退しますが、援軍を得た畠山連合軍に八月二十六日、衣笠城を包囲されます……

【伝承地めぐり】

土肥真鶴崎

石橋山合戦に敗れた頼朝軍は土肥郷へ逃れ、ここから二手に分かれて安房国へ渡航します。先発した北条時政・義時、岡崎義実、近藤七国平らは岩浦から出航し、頼朝は土肥実平に伴われ真鶴崎から小舟で安房国を目指しました……