甲斐源氏の三大勢力
北条時政が繰り返し接触を試みた甲斐国の源氏勢力について西川広平編の史論集『甲斐源氏 武士団のネットワークと由緒』(戎光祥出版)に基づいてまとめてみます……
北条時政が繰り返し接触を試みた甲斐国の源氏勢力について西川広平編の史論集『甲斐源氏 武士団のネットワークと由緒』(戎光祥出版)に基づいてまとめてみます……
ここでいったん本論から離れ、以仁王の令旨がいつどのような状況で発給されたかについて、本記事の所見を述べておきましょう……
治承四年六月二十九日、伊豆国の知行国主は清盛の義弟である平時忠が任命されます。本記事の主張に沿って言えば、当初の予定どおりの人事となります。より正確に言えば、頼政の自然死を待って知行国主交替を予定していたところ、思いもかけず頼政の戦死という事態になりましたが、いずれにせよ既定路線だったことに変わりはありません……
伊豆国の有綱ら実働部隊の面々は、事態が最悪の方向へ進んでいることを悟ります。平家打倒計画はなかったことにして、素知らぬ顔でこれまでどおり領地経営を続ける道は閉ざされ、有綱は謀反の輩として断罪、協力した時政ら在地武将たちも縁坐は免れません……