【深読み吾妻鏡】

以仁王と源頼政の力関係

先に引用した『平家物語の虚構と真実』の中で上横手氏は、頼政の挙兵について、次のように述べます。「その平凡な人生は、功成り名遂げたものであり、七十六歳にして出家する彼に何の不満があったとも思えない……」

【深読み吾妻鏡】

幸せ者だった源頼政

吾妻鏡の冒頭、すなわち治承四年(一一八〇年)四月九日条は、次の一文で始まります。入道源三位頼政卿は、平相国禅門清盛を討ち滅ぼそうと兼ねてから準備していた……

【深読み吾妻鏡】

伊豆国の勢力図と時政の婚活

時政が牧宗親の娘を妻にできた理由を探るため、当時の伊豆国における武将たちの勢力図を確認しましょう。これは時政が頼朝軍の兵に対して指揮官として振る舞えた理由の解明にもつながるはずです……

【深読み吾妻鏡】

時政と牧の方との婚姻

時政が出世の糸口として掴んだ牧の方の出自について、杉橋隆夫氏の説に沿って紹介しましょう。当初地方武士の娘と考えられてきた牧の方は、近年になり池禅尼の姪、その子息平頼盛とは従妹であるとする系図が発見されました……

【伝承地めぐり】

蛭ヶ小島

平治の乱で遠流の刑に処された源賴朝が暮らした伊豆国の蛭ヶ小島とされる伝承地は、現在の静岡県伊豆の国市韮山にあります……

【深読み吾妻鏡】

北条時政とは何者か

以仁王の令旨が届けられた場面に登場する北条時政について、吾妻鏡は「上総介平直方朝臣の五代の孫にあたる北条四郎時政主は、伊豆国の豪傑」であると紹介します。平直方は十世紀頃に東国へ勢力を扶植した武家の桓武平氏ですから……

【深読み吾妻鏡】

北条時政の二面性を読み解く

蛭嶋通りと牛鍬大路をめぐる主張の対立では、時政は戦闘のイロハも解さない道化役として頼朝を引き立て、続く軍勢を二手に分ける戦略では、時政は一転して有能なる指揮官ぶりを発揮します。吾妻鏡の時政に関する両極端の描きっぷりは……

【深読み吾妻鏡】

山木館襲撃における有能な指揮官だった時政

頼朝とわずかな警固兵を北条館に残し、軍勢は山木郷を目指し夜の闇を突いて出陣します。途中、肥田原という地に着いたところで、時政は馬を止め、佐々木定綱にこう言います……

【深読み吾妻鏡】

山木館襲撃における間抜けな時政

山木兼隆の暮らす館は「要害の地であり、行くにも帰るにも、人や馬の往来が大変なところ」だと吾妻鏡は描写します。そこで頼朝は、京下りの遊客である藤原邦道をスパイに仕立て、客人を装い兼隆の館を訪問させ、周囲の詳細な地形を絵図に書かせます。これに基づいた攻略計画を立て、決行の日を八月十七日寅卯の刻(午前五時頃)と定めました……

【深読み吾妻鏡】

目代を討つ理由は何だったのか

源頼朝が挙兵に向け具体的な行動を起こしたのは、治承四年六月二十四日だと吾妻鏡は伝えます。「平氏を追討する計略」は着々と進み、八月四日には最初の攻撃目標を伊豆国目代にして平家の威勢を借る山木判官兼隆に定めます……