丸御厨

丸御厨に比定される南房総市丸本郷は、丸山川に沿って水田の広がる田園地帯

石橋山合戦に敗れ安房国へ逃れた源頼朝は、治承四年九月十一日に丸御厨(まるのみくりや)を巡検しました。この土地は頼朝の祖先頼義が東夷を平定した恩賞として朝廷から初めて下賜され、代々の河内源氏に相伝されました。義朝は平治元年六月、息子である頼朝の昇進を祈願して当地を伊勢太神宮へ寄進したところ、晴れて頼朝は二条天皇の蔵人に補任されました。思い出深い土地を訪れた頼朝は、感慨極まって落涙したと『吾妻鏡』は伝えます。

神仏への信仰に厚い頼朝はその日、念願が叶ったら安房国に新たな荘園を立て、伊勢太神宮へ寄進するとの願書を自筆しました。それから四年後の元暦元年五月、頼朝は重ねて安房国東条の所領一ヵ所を伊勢太神宮へ寄進し、宿願の成就を祈願します。壇ノ浦合戦で平家が滅亡したのは、その翌年三月でした。

この巡検に案内人として伺候したのは、現地を支配する丸五郎信俊でした。丸御厨に比定される現在の千葉県南房総市丸本郷には、養老年間(七一七~七二四年)に創建されたという丸郷神社が現存します。寿永年間(一一八二~一一八五年)に丸氏が、一族と周辺地の安穏・五穀豊穣を祈念して植樹した樹齢八百年と推定される杉の大木があり、南房総市の天然記念物に指定されています。

(公開日:2024-03-04)