土肥郷岩浦

真鶴町岩の浜

石橋山合戦に敗れた頼朝軍は、箱根山中に身を隠した後、土肥郷から船で安房国へと脱出します。『吾妻鏡』は北条時政・義時、岡崎義実、近藤七国平らが土肥郷岩浦から出航したと記します。現在の真鶴町岩の浜には「源頼朝船出の浜」という石碑が建てられていますが、頼朝が船出したのは土肥真鶴崎です。

伊豆半島付け根に当たる真鶴町岩の浜は、西に向かって海に臨み、南北は高い崖に守られ、波風の影響を受けにくい地形です。土肥実平はこの浦に大型の兵船を所有していたのでしょう。現在でも湾の南端に防波堤を築き、岩漁港として利用されています。

JR真鶴駅前の交差点から岩方面の表示に従って進むと、かなり細い急坂の道を下りきった先に、隠れ家的なこぢんまりとした浜が現れます。または、真鶴道路の岩ICを利用できます。浜辺に駐車場はありません。

(公開日:2023-11-19)