大庭城址

大庭氏の居館があったとされる小高い丘は現在大庭城址公園として一般に開放されています。

大庭景親の領地は大庭御厨です。大庭氏の祖先である鎌倉権五郎景正が相模国高座郡鵠沼郷(現在の藤沢市鵠沼)を含む荒野を開拓し、これを伊勢大神宮に寄進することで十二世紀初めに成立しました。景正の子孫は事実上の領主である下司の地位を相伝し、大庭氏を名乗りました。

この御厨は辻堂海岸から引地川に沿って北方へ伸びるかなり広大な領地だったと思われます。現在、JR辻堂駅の北に大庭という地名が残り、上の写真のような大庭城址公園や大庭神社がありますので、内陸部が中心地だったのでしょう。引地川をはさんだ東側には、景親の弟、俣野五郎景久の領地だったとされる俣野の地名が残ります。また、JR茅ヶ崎駅の北方には景親の兄で懐島平太景義の館跡もあり、いずれも大庭御厨に含まれました。

大庭城址公園内の案内図によれば、この地を城郭化したのは室町時代中頃のようです。かなり急峻な丘陵の上部に広い平地が現れます。公園内には駐車場やトイレが整備されていますので、ゆっくり散歩するには最適です。ただし、鎌倉時代を連想できる遺跡などはありません。

(公開日:2023-02-04)