安田義定邸跡と一族之墓

安田義定館跡とされる西願寺

安田義定は甲府盆地北東部の安田郷を拠点に、現在の山梨市と甲府市一帯を支配した甲斐源氏の有力武将です。源平争乱期には富士川合戦で平家軍を退けると遠江国を実効支配し、平家都落ち後に木曽義仲らと上洛し従五位下遠江守に任じられました。

義定の館が在ったとされる安田郷は、山梨県山梨市の笛吹川東岸に広がる小原西および小原東とされ、西願寺が建つあたりに館が在ったとされますが、館跡を示す石碑などは見当たりません。

そこから北東へ徒歩三十分ほど行ったブドウ畑の中には、安田義定一族之墓があります。中央三基の五輪塔は義定と子息の義資・義季のものと伝わります。五輪塔の建立時期は南北朝時代で、武田氏が安田一族を供養するために建立したと考えられています。

安田義定一族之墓

義定の嫡男義資は越後守に任じられるなど、父子ともども長く鎌倉幕府を支えた安田一族でしたが、建久四年(一一九三)に義資が艶書を女房の聴聞所へ投げ入れたという言い掛かりを付けられ梟首、義定も縁坐で所領を没収され翌年には謀叛の疑いありと誅殺されました。

西願寺に駐車場はなく、安田一族之墓にいたっては狭い農道の先にある遺跡なので、車での訪問には注意が必要です。先に駐車場を確保して徒歩に切り替えるといいでしょう。

(公開日:2023-07-10)