怒田城跡

怒田城跡は吉井貝塚の遺跡として公園化されています

怒田ぬた城は三浦党の本拠地である衣笠城の支城として、平作川を見下ろす丘陵地に築かれました。築城当時、久里浜の海岸線はこの辺りまで及ぶ深い入り江で、支城の中で最も海に近い城でした。この付近は「船倉」という地名が今でも残り、三浦党が兵船を停泊させていた港湾だったと推定されます。

怒田城跡近くに残る「船倉」の地名

怒田城の築かれた丘陵からは、発掘調査の結果、縄文時代早期(約八〇〇〇年前)から古墳時代後期(約一四〇〇年前)までの土器、石器、骨角器、住居跡などが出土し、吉井貝塚の遺跡として整備されています。近年の開発により、丘陵は半分ほどが消失しています。削り取られた崖に沿って、京浜急行久里浜線が走っています(見出しの写真参照)。

付近に駐車施設はないので、京浜急行久里浜線の京急久里浜駅から徒歩で向かいます。平作川沿いを走る国道134号線を北上し、サイゼリア久里浜店横の道を右に折れて行くか、船倉の交差点を右折して線路を越え、佐川急便横須賀営業所を右折します。怒田城跡へ登る道は、いずれも住宅地の中にあって分かりにくいので、Googleマップなどのナビアプリを利用しましょう。

(公開日:2023-12-02)