武田八幡宮

甲斐源氏武田党の崇拝を集めた武田八幡宮(随神門)

甲斐源氏武田党の初代当主となった武田信義はここで元服し、近郷を寄進して氏神として崇拝しました。信義は武田八幡宮のある甲府盆地北西部の甘利荘から中央部を勢力範囲とします。子息の一条忠頼、板垣兼信、伊沢(石和)信光もそれぞれ名字の地を所領とし、甲斐源氏武田党の武将に成長しました。

二ノ鳥居から三ノ鳥居に向けて長く真っ直ぐな急坂が伸びる様は壮観です。これだけの高所に労を惜しまず資材を運んで大きな神社を建立したのは、武田氏の財力を近隣の武士団へ誇示するためだったのでしょう。

写真上の随神門から神楽門、拝殿、本殿を石段で結ぶ四層の構造はとても重厚で、鎌倉の鶴岡八幡宮に匹敵するスケールを感じさせます。

最上層にある本殿。貞観年間(八五九~八七七年)に京都石清水八幡宮を勧請したと伝わる

拝殿から左手へ向かうと、武勇で知られた鎮西八郎源為朝を祀る為朝神社もあります。武田義信の建立とされ、為朝の画像と大長刀を納めたそうです。強弓を引く為朝の武勇にあやかろうと考え、氏神の末社に招いたのでしょう。

為朝神社

武田八幡宮へは韮崎ICから車で15分ほど。駐車場完備。高低差がきついので徒歩は避けたほうがいいでしょう。

(公開日:2023-07-08)