由井浦

鎌倉由比ガ浜の材木座海岸と小坪坂

治承四年八月二十四日、三浦党の軍勢は伊豆国で挙兵した頼朝軍に加わるため丸子川(現、酒匂川)まで進軍しましたが、昨夜からの大雨で渡河できずにいたところ、朝になって合戦は源氏方敗北と知らされ三浦の地へ引き返す途中、平家方の畠山重忠が率いる秩父党と遭遇し、鎌倉の由井浦(由比ガ浜)で数刻にわたって合戦に及びました。

『源平盛衰記』によると、秩父党に追われた三浦党は小坪坂を駆け上がって峠にくつわを並べて陣形を整え、畠山重忠の出方を見極めれば、秩父党は由井浦の砂浜に騎馬を並べ、敵に背中を見せるのかと三浦党を罵倒したとされます。

上の写真で手前に見える砂浜は、現在では材木座海岸と呼ばれる海岸の東側で、画面奥の山が左に向かって低くなるあたりが小坪坂になります。小坪坂の登り口に見えている和風建築の屋根らしきものは、小坪坂合戦の後年に建立された光明寺の本堂と山門の屋根です。

その左上に鎌倉市立第一中学校の体育館のかまぼこ型屋根が見えます。山の中腹に広い校庭を持つ学校を建てたということは、このあたりは古くから平場になっていたと想像できます。おそらく三浦党の武者たちは、この平場に軍勢を整列させ、浜に居並ぶ秩父党の面々を見下ろしたのでしょう。

材木座海岸へはJR鎌倉駅からバスが便利です。周囲には有料駐車場も多数ありますが、休日は大変混み合います。

(公開日:2023-10-14)