箱根神社

箱根神社

箱根の山中に身を潜めていた源賴朝たちは、箱根山の別当で賴朝の祖父為義や父義朝と親交のあった行実の手引きで、箱根山にかくまわれます。箱根山とは、現在の箱根神社です。行実は賴朝のために祈祷をするなどの忠義を尽くしており、石橋山合戦の敗北を知ると、弟の僧永実に食事を持たせて賴朝を尋ねさせました。

永実は山中で北条時政と行き会い賴朝の隠れ場所へ導かれ、無事に食事を届けました。『吾妻鏡』は「全員が餓えていた時だったので、千金に値した」と伝えます。その後、賴朝一行は箱根山へ向かい、永実の宿坊で一夜を明かします。

箱根峠から芦ノ湖対岸の箱根神社を望む。画面中央の森が箱根神社の神域

窮地を救ってくれたこの時の恩を忘れなかった賴朝は、世の中が落ち着いた文治四年(一一八八)一月に走湯山、箱根山、三島大社に奉弊する二所詣を行います。これは有力御家人ら随兵三百騎を引き連れた鎌倉幕府の公式行事で、その後も二所詣は歴代の鎌倉将軍や北条氏に引き継がれ、「鎌倉時代を通じて継続的に五十回以上実施」(『源 頼朝』川合 康)されたそうです。

(公開日:2023-03-24)