衣笠城

衣笠城址

相模国で有数の勢力を有した三浦党は、衣笠城を居館とする三浦大介義明を棟梁に、近隣の佐原、和田、大多和、多々良など、三浦半島一円に一族の領地が点在します。「大介」という名告なのりが示すとおり、在庁官人として獲得した高い地位を世襲することで、国衙機構の権威を背景に領地の拡大を果たした武士団です。

平家全盛の時代になると、相模国では大庭景親ら平家被官の武士団が勢力を伸張させ、国衙系勢力の利権を侵食するようになります。そんな折、平家打倒を掲げて挙兵した源頼朝の軍勢に、三浦党はすぐに参戦を表明しますが、石橋山合戦には間に合わず、三浦の領地へ引き返す途中に平家方の畠山軍と合戦となります。

この小坪坂合戦に勝利した三浦党は衣笠城へ兵を集め、雪辱を期して襲い掛かる秩父党を相手に丸一日防戦に努めます。しかし、勝ち目無しと判断して城を捨て、船で安房国へ脱出します。衣笠城の東南に支城の怒田城跡があり、近く流れる平作川のほとりに残る船倉という地名は、かつてここに三浦党の水軍基地があった名残と言われています。

衣笠城跡は横浜横須賀道路の衣笠IC付近ですが、周囲に駐車場はありません。タクシーで城跡付近まで乗り付けるか、バスを利用するのがいいでしょう。衣笠山公園の衣笠神社前に無料駐車場はありますが、衣笠城跡まで徒歩で移動するのはかなり大変です。

(公開日:2023-10-22)