
甲斐国市河荘へ入植した源清光は、父義清と八ヶ岳南麓の台地一帯に広がる逸見地方を開拓し、茶臼山に谷戸城に建て、ここに居を構えて逸見清光を名乗りました。城の西側は西衣川が天然の堀となり、北面には横堀をめぐらせ守りを固め、城郭は同心円状に二の郭から五の郭までが配置されます。もっともこの構造は十四~十五世紀の姿とされ、清光が暮らした頃はもっと単純な山城だったと思われます。西側の山裾に館があったと想定される六の郭があります。
大手虎口とされる北側の堀外には北杜市考古資料館があり、駐車場を利用できます。目の前には八ヶ岳が迫る絶景です。

逸見清光の拠点とした谷戸城の近隣には、清光をはじめ逸見一族の崇拝した逸見神社や清光の墓がある清光寺も点在します。清光の子息から逸見光長、武田信義、加賀美遠光、安田義定ら、平安末期から鎌倉時代に活躍する多くの武将が成長し、甲斐国全土に勢力を拡大しました。

