
吾妻鏡で言及される「走湯山」とは、現在の静岡県熱海市に在する伊豆山神社です。ここは頼朝と政子にゆかりの深い神社で、境内にはふたりが恋を語らったとする「賴朝・政子腰掛け石」なる伝承も残されています。
賴朝は挙兵して伊豆国目代山木兼隆館に夜襲をかけるひと月余り前、走湯山の僧侶
山木兼隆を誅殺した翌日に、賴朝は毎日行ってきた勤行がこれからは戦中で行えなくなるため、政子の読経の師匠である伊豆山の尼僧法音に、経典の代読を命じています。そして政子は争乱の難を逃れるため走湯山の覚淵房に身を隠しました。
この時期、伊豆半島東側の土肥国(現在の神奈川県湯河原町)から伊豆国の北条館へ往来するには走湯山の領地を通ったようで、武者たちが狼藉を働くので鎮めて欲しいと走湯山の衆徒が訴えました。そこで賴朝は世の中が落ち着いたら「伊豆国で一カ所、相模国で一カ所の荘園を走湯山に寄進する」との御書を送ってなだめたと吾妻鏡は記します。

伊豆山神社へは国道135号線からアクセスできます。本殿までは長い階段がありますので、足の弱い方は本殿横の駐車場を利用するとよいでしょう。
(公開日:2023-03-11)