鉢田

朝霧高原から端足峠を望む

甲斐源氏が駿河国目代の橘遠茂率いる平家軍と対決した鉢田合戦の比定地は、富士五湖の本栖湖南側にそびえる龍ヶ岳の端足峠だったとされます。平家軍は現在の富士宮道路を北上して甲斐国を目指したとところ、この動きを察知した甲斐源氏は、あらかじめ兵を駐留させていた河口湖北岸の大石駅を発ち、西湖から本栖湖へと軍を展開して迎撃態勢を築きます。

吾妻鏡』に甲斐源氏は「神野と春田路を経て、鉢田の辺りに至った」と記されます。現在は端足峠の東側に平坦な道路が走るので、鉢田合戦が峠道で戦われたのは不自然に感じますが、神野と春田路は「富士山の貞観噴火による溶岩流を避けるような形で設定された交通路」(海老沼慎治、『甲斐源氏』)だったので、当時は富士山西側の平坦地は通行できない状態だったのでしょう。平家軍はやむを得ず狭隘な端足峠を越えて甲斐国を目指しました。

鉢田合戦の模様は『吾妻鏡』に、「この一帯は山峰が連なり、道を大きな岩がさえぎっているので、前に進みがたく、後ろにも退きがたい」と記されます。細い峠道に潜んでいた甲斐源氏の兵士たちが、前後に長く伸びた平家軍の側面から奇襲を仕掛けたと考えていいでしょう。この合戦は甲斐源氏の大勝に帰し、駿河国軍は壊滅状態となりました。

端足峠を眺めるなら、富士宮道路の「道の駅 朝霧高原」が幸便です。ここから、もうひとつの甲斐源氏対平家軍の戦闘地である足和田山、さらに大石駅へ足を伸ばしてもよいでしょう。

(公開日:2024-03-17)