目代を討つ理由は何だったのか
源頼朝が挙兵に向け具体的な行動を起こしたのは、治承四年六月二十四日だと吾妻鏡は伝えます。「平氏を追討する計略」は着々と進み、八月四日には最初の攻撃目標を伊豆国目代にして平家の威勢を借る山木判官兼隆に定めます……
源頼朝が挙兵に向け具体的な行動を起こしたのは、治承四年六月二十四日だと吾妻鏡は伝えます。「平氏を追討する計略」は着々と進み、八月四日には最初の攻撃目標を伊豆国目代にして平家の威勢を借る山木判官兼隆に定めます……
八月二十四日夜、頼朝らは永実の案内で「密かに箱根山に到着」し、永実宅に宿します。箱根山とは現在の箱根神社で、永実は自分の暮らす宿坊へ頼朝一行を招いたと思われます……
石橋山合戦二日目の八月二十四日に話を戻しましょう。六名の忠臣が実平に追い返された場面の後に、次のような記述があります……
頼朝を守護すべき六名の武将たちが主君を見捨て、甲斐国へ向かおうとしていた北条時政の供を申し出た場面について、引き続き考察を進めます……
頼朝を見失った六名の武将が時政の供をすると申し出たことが、当時の武家社会にとってどれだけあり得ない状況なのか、補足して説明しましょう……