【深読み吾妻鏡】

伊豆国目代山木兼隆襲撃

八月十七日、頼朝はついに平家打倒の兵を挙げます。手勢の武将として名前を確認できるのは北条時政、前回で触れた定綱ら佐々木四兄弟、岡崎四郎義実と子息左奈田与一義忠、土肥次郎実平、加藤次景廉、堀藤次親家など……

【伝承地めぐり】

大庭城址

大庭景親の領地は大庭御厨です。大庭氏の祖先である鎌倉権五郎景正が相模国高座郡鵠沼郷(現在の藤沢市鵠沼)を含む荒野を開拓し、これを伊勢大神宮に寄進することで十二世紀初めに成立しました。景正の子孫は事実上の領主である下司の地位を相伝し、大庭氏を名乗りました……

【深読み吾妻鏡】

東国における平家の後見人

吾妻鏡の八月二日条は、以仁王の乱を鎮圧するために在京していた大庭三郎景親など東国武士の多くが帰国したと記します。景親は罪を犯して斬首されるところを平家に助命された恩義により平家の被官となって以来、東国における平家の後見人として兵を招集、指揮する権限を与えられた存在でした……

【深読み吾妻鏡】

頼朝の決意は空回り

六月十九日、京の官吏である三善康信は、伊豆国北条館に暮らす頼朝の元へ使者を送り、平家の追討使が差し向けられるので早く奥州へ逃げるよう秘密裏に伝えたと吾妻鏡は記します……

【深読み吾妻鏡】

平家討伐の令旨はまず頼朝へ

吾妻鏡は治承四年(一一八〇年)四月九日の条から書き起こされます。源頼政が子息仲綱を伴い後白河法皇の第二皇子である以仁王を密かに訪ね、かねてより準備していた平清盛討伐計画を打ち明け、安徳天皇に代わり王位に就くよう奏上すると、以仁王は東海東山北陸三道諸国の源氏に対し決起を促す令旨を下しました……

【伝承地めぐり】

北条館

『吾妻鏡』は治承四年四月、源三位頼政が以仁王から令旨を下され、それを源行家が伊豆国の北条館に届けた場面から始まります。「頼朝は水干に改め、まず男山の方を遙拝した後に、謹んで令旨を開いて見られた。」と吾妻鏡は記します……

【深読み吾妻鏡】

吾妻鏡の時代背景

吾妻鏡は鎌倉幕府の公式年代記として鎌倉時代末期(一三〇〇年前後)に成立したとされます。当時の政権を握っていたのは執権職を世襲する得宗家の北条一族であり、その編纂に当たっては北条家の主観や正当性を補強するための脚色が随所に施されているという認識が一般的です……

【ブログ】

はじめに

吾妻鏡を初めて手に取ったのは二〇〇七年冬、ちょうど吉川弘文館から『現代語訳 吾妻鏡』が刊行された年でした。同じ年の春、鎌倉の隣町へ移り住んだ当初は身の回りを整理するのに精一杯で、人気の観光スポットである鶴岡八幡宮へ出掛ける余裕すらありませんでした。ひと夏を新天地で過ごし秋を迎える頃、生活にも慣れてきたことで未だ見ぬ土地への興味が頭をもたげ、週末の度に名所旧跡を訪ね歩くようになりました。思いのほか鎌倉は徒歩で有名な神社仏閣へ行けるほど身近な土地だったのです……