安房国渡海にまつわる疑問
敵兵の去った土肥郷に集結した頼朝たちは、土肥実平の館で安房国渡海の計画を入念に検討したでしょう。従って二十七日に時政、義時父子および岡崎義美、近藤七国平らが安房国へ向けて出航した船団に、頼朝と実平は同乗せず……
敵兵の去った土肥郷に集結した頼朝たちは、土肥実平の館で安房国渡海の計画を入念に検討したでしょう。従って二十七日に時政、義時父子および岡崎義美、近藤七国平らが安房国へ向けて出航した船団に、頼朝と実平は同乗せず……
石橋山合戦に敗れた源頼朝と北条時政は、箱根神社の宿坊に匿われて一夜を明かした後、八月二十五日に土肥郷(現、神奈川県足柄下郡湯河原町)へ向かいました。その後の二人の動向を追跡しましょう……
伊豆国反乱軍との合流を断念した三浦党は領地へ帰還しますが、途中で武蔵国から進軍してきた畠山軍に遭遇し、鎌倉の由井浦(由比ガ浜)で合戦におよびます。小坪坂合戦とも呼ばれるこの戦いに勝利したのは三浦党でしたが……
仲綱残党軍が伊豆国で挙兵した治承四年八月十七日の時点で、すでに相模、武蔵、駿河の平家軍は、以仁王の令旨を受け取った東国源氏の中で最も危険分子と見られていた甲斐源氏に先制攻撃を仕掛けるため、大庭景親および橘遠茂を指揮官とする組織的な軍事行動を開始していました……
伊豆国で挙兵した反乱軍への迅速な対応により、甲斐源氏軍と仲綱残党軍の連携を阻止する功績を挙げた橘国衙軍は、うっかりすると山木館襲撃の報を受けて出兵したと考えがちですが、騎馬兵の行程を検討すれば、それは現実的ではないと理解できます……
治承四年八月十七日に伊豆国目代山木兼隆館を夜襲した仲綱残党軍は、翌十八日は兵士の休養に充て、かねてより甲斐源氏安田軍と示し合わせていた計画に従い、十九日に黄瀬川宿へ兵を進めました……