冷徹な現実主義者の頼政
頼政の人となりを示すもうひとつのエピソードは、平治元年(一一五九年)に勃発した平治の乱を記す『平治物語』から採りましょう。後白河法皇派と二条天皇派の対立に摂関家の氏長者をめぐる内紛、源平両軍の勢力争いが絡み合い、ついに軍事クーデターが起こります……
頼政の人となりを示すもうひとつのエピソードは、平治元年(一一五九年)に勃発した平治の乱を記す『平治物語』から採りましょう。後白河法皇派と二条天皇派の対立に摂関家の氏長者をめぐる内紛、源平両軍の勢力争いが絡み合い、ついに軍事クーデターが起こります……
義によって以仁王の乱に同意したとされる頼政ですが、その人となりを調べると、どうも違和感しかありません。そこで頼政の性格をよく示す二つのエピソードを『平家物語』と『平治物語』から拾ってみます……
六条天皇の後継を争う以仁と憲仁の動きを年代順に整理してみれば、まさに両者のデッドヒートと呼べる動きです……
先に引用した『平家物語の虚構と真実』の中で上横手氏は、頼政の挙兵について、次のように述べます。「その平凡な人生は、功成り名遂げたものであり、七十六歳にして出家する彼に何の不満があったとも思えない……」
吾妻鏡の冒頭、すなわち治承四年(一一八〇年)四月九日条は、次の一文で始まります。入道源三位頼政卿は、平相国禅門清盛を討ち滅ぼそうと兼ねてから準備していた……
時政が牧宗親の娘を妻にできた理由を探るため、当時の伊豆国における武将たちの勢力図を確認しましょう。これは時政が頼朝軍の兵に対して指揮官として振る舞えた理由の解明にもつながるはずです……
時政が出世の糸口として掴んだ牧の方の出自について、杉橋隆夫氏の説に沿って紹介しましょう。当初地方武士の娘と考えられてきた牧の方は、近年になり池禅尼の姪、その子息平頼盛とは従妹であるとする系図が発見されました……
以仁王の令旨が届けられた場面に登場する北条時政について、吾妻鏡は「上総介平直方朝臣の五代の孫にあたる北条四郎時政主は、伊豆国の豪傑」であると紹介します。平直方は十世紀頃に東国へ勢力を扶植した武家の桓武平氏ですから……
蛭嶋通りと牛鍬大路をめぐる主張の対立では、時政は戦闘のイロハも解さない道化役として頼朝を引き立て、続く軍勢を二手に分ける戦略では、時政は一転して有能なる指揮官ぶりを発揮します。吾妻鏡の時政に関する両極端の描きっぷりは……