市河荘(一条氏館跡)

かつて市河荘があった笛吹川一帯を一条氏館跡から遠望

甲斐源氏の祖となった武田義清と子息清光は、常陸国吉田郡武田郷に在った所領を追われ、新天地となる甲斐国の市河荘に移り住みました。ここはいわば甲斐源氏の出発点です。現在の住所表記では、山梨県中央市から西八代郡市川大門町にかけての笛吹川両岸にまたがる領域が、かつての市河荘だったとされます。

JR身延線「甲斐上野駅」南方の丘上に「一条氏館跡」とされる伝承地があります。源頼朝が伊豆で挙兵した同時期に、甲斐国では武田信義と子息一条忠頼も反平氏の軍事行動を開始します。甲斐源氏は頼朝と同盟関係にあり、協力して木曽義仲を討伐し生田の森合戦で平家軍を撃退しますが、この合戦で功績を挙げた一条忠頼は、頼朝から謀叛の疑いを掛けられ元暦元年六月十六日に鎌倉の大蔵御邸で誅殺されます。

一条氏累跡に建つ蹴裂神社

名跡の絶えた一条家を惜しんだ武田信玄は異母弟一条右衛門太夫信竜に家跡を継がせ、この地に塁城を建てたと伝わります。現在は、蹴裂神社となっています。同じ敷地内に「市川三郷町歌舞伎文化資料館」なる施設があるのは、ここ市川三郷町は市川團十郎家発祥の地だから。甲斐源氏と歌舞伎役者の奇縁です。

(公開日:2023-07-08)