武田郷(武田氏館)

武田氏館

河内源氏の嫡流、頼義の三男である新羅三郎義光は、常陸国に下向して勢力を扶植します。義光の三男義清は、常陸国の那珂川下流に位置する那賀郡の武田郷を所領とし、那珂川を望む武田台地の南端に居館を構え武田冠者を名乗り、武田氏の祖となりました。

義清と嫡男清光は領地拡大を進めますが、強引な手法がたたったのか、常陸平氏の吉田氏や鹿島神宮の中臣氏など在地勢力と衝突し、清光に濫行ありと常陸国司から朝廷に訴えられ、父子ともども甲斐国市河荘へ配流されます。その後、武田氏は甲斐国での勢力拡大に努め、源平合戦の時代には甲斐源氏と呼ばれる有力な武士団に成長しました。甲斐の武田氏は戦国時代まで続く武家ですが、そのルーツは常陸国にあったのです。

武田氏館に展示される甲冑をまとった義清と清光の像

武田郷(現在のひたちなか市武田)には当時の武家館を再現した武田氏館が建てられています。入館は無料で駐車場あり。館内には武田氏に関する資料や発掘物、武具なども展示されているほか、敷地内には展示物を納めた主殿と厩、納屋があります。

当時の絵巻物などを参考に再現された武田氏館の主殿

実際に館の在った場所は武田氏館から南へ常磐線の線路を渡ったあたりとされます。そこは草むらがあるだけですが、もう少し南に進んで武田台地を下れば、周囲には田園風景が広がり、いかにも豊饒の大地といった趣があります。

(公開日:2023-07-08)