波志太山

波志太山に比定される足和田山。右端に光って見えるのは河口湖の水面

甲斐源氏安田軍と平家被官の俣野・橘連合軍が合戦に及んだとされる波志太山は、山梨県南都留郡富士河口湖町の足和田山だったと考えられています。ここは河口湖と西湖に挟まれた低山で、富士山の北麓に宿営したとされる俣野軍は、実際には山中にあったのではなく、上の写真のように波志太山の裾野に広がる河口湖畔の平野に兵を集結させていたと思われます。

俣野軍は夜間に野ネズミの襲撃を受け弓の弦を噛み切られたせいで、安田義定の軍勢に打ち負かされたのだと『吾妻鏡』に記されます。運が良ければ、波志太山合戦の功労者である野ネズミに出会えるかも知れません。

撮影場所は河口湖南岸の「道の駅 かつやま」に隣接する小海公園です。現地には伝承地を示す碑などはありませんので、古を思う想像力を働かせて楽しんでください。

(公開日:2023-08-12)