鎌倉の館

亀ヶ谷に在った旧義朝邸の跡地に立てられた寿福寺の外門

源頼朝が鎌倉に入部した治承四年十月七日、まず由井郷にあった鶴岡八幡宮(現在の元八幡)を遙拝した後、亀ヶ谷にあった父義朝の館へ向かいましたが、そこは土地が狭く、また岡崎義実が義朝の菩提を弔う寺院を建ててあったため、この地に邸宅を建てるのは断念したと『吾妻鏡』は記します。

義朝が暮らした鎌倉の館は、頼朝が没した翌年(正治二年)に北条政子の発願で寿福寺が造営されました。開山に招かれたのは、日本に始めて臨済宗を伝えた禅僧の栄西です。

外門から山門へまっすぐ伸びる敷石道は、ガイドブックなどに度々登場する必見スポットです。なお、本堂は見学できませんので、門外から眺めるだけにとどめます。

鎌倉五山の第三位である亀谷山寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)本堂。

山門前を左に折れ、突き当たりを右へ進み、墓地の突き当たりを右に回り込むと、北条政子と源実朝の墓とされる五輪塔を納めたやぐら(崖を掘り抜いた墓地)を見学できます。

北条政子と源実朝の墓

寿福寺へはJR鎌倉駅西口から徒歩十分ほど。門前にコインパーキングもありますが、週末などはかなり交通渋滞が発生ますので、平日以外は公共交通機関を利用しましょう。

(公開日:2024-01-18)