【深読み吾妻鏡】

失敗に終わった以仁王の乱

有綱を指揮官として平家打倒計画を着々と進めていた伊豆国では、待望の令旨が東国にもたらされたことで準備は最終段階を迎え、挙兵時期の設定や武将たちの進軍ルート確定といった詰めの作業入ろうとする矢先でした……

【深読み吾妻鏡】

令旨をめぐる伊豆指令本部の動き

平家打倒計画は「兼ねてから準備していた」と吾妻鏡に記されますから、治承四年四月から数か月はさかのぼる時期に動き出したと考えられます。平清盛が後白河法皇を幽閉したクーデターの発生は治承三年十一月で、それを境に貴族、武士の間で平家に対する反感は高まりました……

【深読み吾妻鏡】

反乱軍の拠点だった伊豆国

以仁王の令旨を託された行家は、まず自身の生活拠点としていた紀伊国の熊野三山のひとつ新宮に立ち寄ったと考えられます。平治の乱で義朝と共に戦った行家は、その後は新宮別当行範に嫁した姉の鳥居禅尼のもとへ身を寄せ、新宮十郎義盛と名乗って暮らしていたとされます……

【深読み吾妻鏡】

以仁王の令旨が来た道

本記事はこれまでの考察に基づき、以仁王の乱を首謀したのは前伊豆守源仲綱だったという前提に立ち、吾妻鏡を読み直していきます……

【深読み吾妻鏡】

知行国制度と武士の抗争

時の大納言平時忠が「此一門にあらざらむ人は、皆人非人(人なみ以下の者)なるべし」と豪語したとする平家物語の一節はつとに有名ですが、栄華を極めた時期の平家知行国は、「日本秋津島は、わずかに六十六箇国、平家知行の国三十余箇国、既に半国に超えたり」(『平家物語』「吾身栄花」の段)という異常なまでの寡占状況でした……

【深読み吾妻鏡】

名馬をめぐる子供じみた相克

以仁王の令旨を承ったのが仲綱だった謎を解くヒントは、上横手氏も前掲書で言及しているように、『平家物語』「競」の段に描かれていました。その逸話とは、清盛の次男宗盛が、仲綱の所有する名馬を無理矢理取り上げたという内容です……

【深読み吾妻鏡】

頼政らしからざる振る舞いの謎

平家打倒に燃える以仁王から謀反計画への参加を強く促されたとしても、そこは老獪な頼政ですから、「もう年寄りなのでお役に立てそうにありません」だの、「最近は体の調子が思わしくなく」だのと、のらりくらりとした態度で言葉を左右させ、なんとか以仁王の方から断念するのを待ったでしょう……

【深読み吾妻鏡】

冷徹な現実主義者の頼政

頼政の人となりを示すもうひとつのエピソードは、平治元年(一一五九年)に勃発した平治の乱を記す『平治物語』から採りましょう。後白河法皇派と二条天皇派の対立に摂関家の氏長者をめぐる内紛、源平両軍の勢力争いが絡み合い、ついに軍事クーデターが起こります……

【深読み吾妻鏡】

機転を利かせ困難を乗り切る頼政

義によって以仁王の乱に同意したとされる頼政ですが、その人となりを調べると、どうも違和感しかありません。そこで頼政の性格をよく示す二つのエピソードを『平家物語』と『平治物語』から拾ってみます……

【深読み吾妻鏡】

緊張関係にあった以仁王と清盛

六条天皇の後継を争う以仁と憲仁の動きを年代順に整理してみれば、まさに両者のデッドヒートと呼べる動きです……